7、「この城」を食う

4月後半になって、篠崎水門のアユ釣りで味をしめた私は、もう1つのアユ釣りのメッカ行徳橋でもトライしてみようと出かけた。後で気づいたのだが、実はこの2か所はすごく近いのだ。

私の自宅の葛飾から車で行くと篠崎水門は江戸川沿いの道をまっすぐ15分程で着く。行徳橋は市川橋を反対側に渡ってそのまま江戸川沿いを走って20分ほどで着く。行き方が全然違うので、感覚的に両者は離れていると勝手に思っていた。ところが行徳橋の駐車場に車を止めると篠崎水門は目と鼻の先、200mくらいしか離れていない。この駐車場は以前ハゼを求めて江戸川放水路に来た時に使っている。無料だ。

5月入ると稚アユ釣りはそろそろおしまいだった。篠崎水門でまるっきりあたりもなく、私は仕方なく行徳橋に移動した。行徳橋も水門がありアユはそこにたまっている。が、ここでも同様にあたりもなく帰ろうかなと考えていた時、隣人に大きなアユがかかった。よくよく見るとその魚はアユではなく、また別の魚だった。見覚えのある魚。

それはイワシだった。江戸川でイワシ。なんか変な響きだ。前にも話した通り行徳橋より下流の江戸川放水路は海だ。だから海の魚がいてもおかしくはないのだが、ハゼならともかくイワシは沖にいる回遊魚だ。変な感覚を覚えた。

よく見ると周りの人たちもぽつぽつとイワシを釣っている。私も1つトライすることにした。

やり方はアユと基本的には同じだが、アユは足元中心に攻めるのにイワシは少し沖を攻める。沖といっても10m程度だが。ちょっと投げて底につかないようにサビくのがコツだ。

根気よく10分ほどサビいていると12,3cmのイワシがかかった。何となく要領がわかった私は、その後も釣り続け1時間で30尾程度釣りあげた。仕掛けが4号バリのワカサギ用だったので、少し大きめのイワシではすぐに仕掛けを切られてしまう。このときすでに仕掛けの買い置きが切れていたので、これで納竿とした。

次の週ははじめから行徳橋に向かった。

噂を聞きつけてきたのだろう。先週はいなかったたくさんの釣り人が集まっていた。結構数を釣っている人もいた。100尾といったところか。私も早速開始し、いいペースで釣れ始めた。10匹程釣ったところで、突然竿が大きくしなり、仕掛けが沖に引っ張られた。この前は細いハリスだったが今回はイワシを想定して太いものに変えてきている。しばらくその魚とやり取りしてついに周りの人のタモの協力を得て30cm程の魚を取り込んだ。見たこともない魚だった。周りの釣り人が「コノシロだ。」と教えてくれた。

コノシロとは江戸前の高級すしネタ「コハダ」の親分だ。コノシロは出世魚だ。成長過程でシンコ、コハダ、コノシロと名前を変える。

私は上機嫌で追加したイワシ計30尾とコノシロ1尾を獲物として持ち帰った。

イワシは刺身、から揚げ、マリネにした。コノシロは大きかったので焼いて食べた。

イワシはどれも絶品というほどうまかったがコノシロはまずかった。小骨が多くしかも少し臭かった。

コノシロ

あとで調べるとコノシロは小さいほど高価だ。コハダは中くらいで最も小さいシンコは最高級なすしネタだ。いずれも酢絞めにしていただく。成魚のコノシロは小骨が多くあまり食べないらしい。「そうかそれで小さいものだけ酢でしめて骨ごと食べるのか」。そういう理由があったのだとわかった。

江戸時代、庶民は大名をあからさまに批判はできなかった。なので、この魚を食べてうさをはらしていたらしい。「この城」を食うということらしい。

私にはまずくて「この城」は食えなかった。

秋から冬にかけてその年生まれたコノシロの子供が釣れ出す。食べごろのいわゆるコハダだ。サビキ仕掛けで狙える。汽水域を好む魚ななので河口付近の水深のある程度ある場所がポイントだ。市原の海釣り施設は養老川の河口に位置しているのでコハダ釣りの実績がある。

ポイント

これは行徳橋で釣ったものだ。

コノシロは汽水域を好む魚だが東京湾ではどこでも釣れる。海釣り公園や水深のある岸壁なら大丈夫だ。ただし、サッパやイワシに比べると絶対量はさほど多くない。上記の2種を狙っている時の外道といったところだ。春夏に釣れのるは成魚のコノシロだ。美味しいシンコやコハダを狙うなら秋以降だ。

コノシロの釣り方

仕掛け

サビキ仕掛け ハリ 5号~8号 5本または7本がけ オモリ 4号

少し遠目にサビキ仕掛けを投入してサビキながら引っ張ってくる。タナは中層より深め。コマセ網をつけると尚よい。

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