1、はじめての獲物

私がはじめて食べられる魚を釣ったのは40年近くも前の小学生時代ことだ。私の子供のころは住んでいる葛飾もまだまだ田舎で、家の周りには田んぼが点在していた。学校の帰り道にザリガニやドジョウを捕まえたりできるようなところだった。周囲を川に囲まれたこの地区は水郷地区と呼ばれている。

そんな環境で育ったためか小学校も3年生になる頃には、ランドセルを下ろすとすぐにのべ竿を持って飛び出していくことも珍しくなかった。そんな時は決まって水元公園が釣り場だったが、惜しいことにその魚を釣ってはみるものの、食べようとは思わなかった。10cm余りの鯉や鮒、クチボソ(もろこ)などとという魚などが、食べられるとは子供心にも思えなかった。ただ、釣ってきては庭にバケツにほっておいて殺してしまうということの繰り返しだった。今思えばかわいそうなことをしたものだ。

ある日、ご近所の兄貴分のKちゃんに連れられて江戸川に釣りに行った。「常磐線の鉄橋の下に河童が出る。」などという噂があった江戸川は小学校3年生の私にとってはちょっと不気味な存在だったが、5年生のKちゃんにとってはホームグラウンドであり、またあの「水元より釣れる」穴場でもあった。母に江戸川へ行くことを禁止されていた私にとっては禁断の地ではあったが、「水元より釣れる」という言葉には勝てずに内緒で出かけた。

ところが「水元より釣れる」という言葉とは裏腹に実際に糸を垂らすと、まったくと言っていいほど魚はかからなかった。Kちゃんも「おかしいな」と言いながらもやはり一度もアタリが出ていなかった。いつもは20cm以上の鯉やニゴイという見たこともない魚がかかるらしかった。しばらく何も起こらずに時間だけが過ぎていき、私もそろそろ飽きだし、「Kちゃんも嘘ばっかり言って」などと思いはじめた時、Kちゃんは思いがけない別の提案をしてきた。

「ヒロちゃん、今日は鯉いないからハゼを釣ろう。」私は心の中でハゼってなんだ?ダボハゼの親戚か?などと考えていた。水元には体長2,3cmのダボハゼという魚がいる。正確な名前はチチブという魚だが、これは釣る魚ではなくて捕る魚だ。1,2年生が網を使ってすくうものだ。あんなもの捕っても面白くない。3年生の私はそう考えた。

「ダボハゼなんて釣りたくないよ。」私は即座に答えた。

Kちゃんは「なに言ってるいるんよ。」というバカにしたような顔をして言い返した。

「ヒロちゃん、違うよ。ダボハゼじゃなくてハゼだよ。ダボハゼよりずっと大きくて、しかも食べられるんだよ。」

Kちゃんは大げさに両手を30cm位の幅に広げて言った。

そんなに大きくて、しかも食べられる魚がここ江戸川にはいるのかと考えていると、Kちゃんは私のことなどは気にせずにどんどん話を先に進めていった。

「ハゼはいつもの練りエサじゃなくてミミズを食べるんだ。」と、言ったかと思うとすぐに土手の草を根こそぎ掘り起こし始めた。その根の土の部分には大きなミミズがぶら下がっていた。Kちゃんは私と自分の竿からウキをはずして板おもりをサルカンの部分に追加し、ミミズを2cmほどにちぎって針に刺した。

 「じゃ、これでやってみな。」

Kちゃんは私に竿を戻すと川に仕掛けを放り投げた。私も真似して投げてみた。

「ぐぐぐってきたら、あげるんだよ。」

そんな言葉を聞き終わったか終わらないうちに「ぐぐぐ」と引きが来た。針先には10cmほどのハゼがかかっていた。私はびっくりしてしまい「Kちゃん、こんなすごいのがかかったよ。」と叫んだ。Kちゃんは冷静に「そんなの普通だよ。」と、さも得意そうに鼻で笑っていた。

結局3,40分で20匹近く釣り上げて、もういいかということになり引き上げることにした。普段ならバケツに水を多めに入れて生かしたまま持って帰るところなのだが、この魚はKちゃんによると食べる魚なのでビニールに水なしで持って帰ることにした。

「どうやって食べるの?」

「大丈夫だよ。うちのお母さんがやってくれるから。」

今、思えばラッキーだったのだが、Kちゃんのお母さんはお店で総菜を揚げていた。持ち帰ったハゼは腹のワタだけ取って塩コショウと片栗粉で揚げてもらった。揚げたてのハゼは香ばしい匂いをあたりに立ちこませていた。こんなおいしいものが世の中あったのか、とさえ思えた。それほど強烈な印象の獲物第一号だった。

「Kちゃん、すごくおいしいね。」

「また、連れてってやるよ。」 

私の感激ぶりにKちゃんも鼻高々だった。その夜、あまりのハゼのおいしさに口を滑らせて母に江戸川行きがばれてしまい、こっぴどく叱られた。

その後Kちゃんにハゼ釣りに連れて行ってもらうことはなかった。結局、次に私が江戸川にハゼ釣りに行ったのは30年以上もたって21世紀に入ってからだ。 今思えば、あの40年も前の出来事から私の狩漁生活が始まっていたのかも知れない。

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